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掲載日:2012年4月15日

協同組合から得たもの

岡田 伸幸さん 開催日:22012年2月18日
会 場:コーヒー屋シュッツ
話し手:岡田 伸幸さん ( 元生活協同組合 専務理事 )

目次

 

 

はじめに

はじめまして、今日話をさせて頂きます、昨年まで生活クラブ生協で専務理事をしていました岡田伸幸といいます。現在は、生活クラブの顧問と生活クラブに鶏卵の供給をしている鹿川グリンファームで社長をしています。このように言いますと天下り見たいに聞こえますが、現状の生活は生活クラブからの顧問料と年金の一部をもらって生活しています。

今日の話は、私自身が生活クラブで働き始めて、組合員ときちんと向き合って対話できるまでに7〜8年程かかったことについて話をしたいと思います。この話しをしようと思ったのは、私自身が陥ったことを現在も解決できていないでいる方や気がつかない方が大勢いるのではないか、またこういうことは私自身だけの問題だと考えていたので、なかなか言い出せなかったのですが、今回このような場を設定して頂けたので皆さんはどのように考えるのか一度ぶつけてみようと思ったからです。もしかしたら「な〜んだそんなことか」と思われてしまうことなのかもしれないのですが宜しくお願いします。

この間、生活クラブでは「何か組合員活動をしたら、○○をプレゼントします」ということがよくあります。これはみなさんの気持ちとしてイコールの部分も大きいかもしれませんが、これは生活クラブが組合員像としてきたこととは距離があると思います。しかしそのことに気づいてない方も多いのではないでしょうか。「それで当たり前、普通じゃないの。社会がそうでしょ」と思っている組合員も多いと思います。そういう考え方に対して、私が職員として考えてきたことを投げかけてみようと思います。

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1.私の略歴

中学、高校、大学を通して社会のことに興味はありませんでした。ただ、中学時代のエピソードを一ついいますと、県会議員の息子を校長がえこひいきしていると感じ2回ほど談判に行ったことがあるので、心の中には社会の不条理に抵抗しようとする何かがあったのかな〜と感じています。このことが生活クラブにつながっているかも知れません。

高校は野球がしたくてそのころ1番強い高校に入学しました。でも1年間で挫折。その学校の1年次で英語の時間にウイシャルオーバーカムを歌わされた経験があります。この先生は日教組の活動家でした。その影響なのかわかりませんが、社会主義系の本を何冊か読んで質問した記憶があります。内容は忘れました。今生活クラブ連合会のOさんとは1年次同じクラスでしたが、一言も言葉は交わしたことはありませんでした。野球のボールの繕いの内職で忙しかったのです。

大学入学時は70年安保の真っ盛り。催涙弾が飛んでいました。運動部に入っていたので大学閉鎖の手伝いに借り出されていました。何で70年安保の運動しているのか理解不能と言うか、考えたことがなかったし考えようともしませんでした。完全なノンポリでした。

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就職は名古屋の地質調査の会社にしましたが、つまらなくて8ヶ月で退職、毎晩飲み歩いているような有様でした。

以上のような人間が生活クラブに入ったわけです。すると何が起こるか?

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2.生活クラブへの入職を決断する

そんな折りたまたま家に帰ったら、元市長のHさんから弟に生活クラブへの就職話が来ていました。弟はイヤダと拒否したのですが、話を聞いてみると、内容はうまく理解できないのだけれど非常に面白そう思えました。社会を変えられるのかな?ということが頭の中に残っています。このことに興味を持ちました。

父親が社会党支持者で、家の中で結構そういう話をしていたということがあったのかもしれません。

面接に行ったときも、生活クラブが行っている運動についての理解はほとんどできませんでしたが、社会の不条理に向きあっていこうという部分に何かを感じたのと、TKさんらに情熱見たいなものを感じ、面白そうだからここでやってみようと決断しました。

面接が終わってそこにいる人たちと話をしていたら、当時専務だったTKさん、常務だったKさん、そして職員だったNさんが、大衆路線か大衆化路線かでけんけんがくがくの論議をかなりの時間行っていたことは非常に新鮮でしたが、同時に大変な所にきてしまったな〜という記憶があります。ただこの当時はどちらが正しいのかは判断できませんでした。

それでもここで働くことを決めました。社会運動もしたことがなく、協同組合の存在さえ知らない岡田が協同組合へ入職を決めたのですが、決めた理由は何か面白そうだということだけで、今だったら確実に採用してもらえなかったでしょう。人がほしかったから誰でもよかったようです。

そして現在も生活クラブに関わって仕事を続けられている理由は、やはり面白い組織であるということと、嘘をついて仕事をしなくてもいいこと。なにが面白いかというと、自分の問題意識を組織としての問題意識にし大きくしていけることです。生活クラブは「おおぜいの私」といいます。よく協同組合の標語としていわれる、「一人は万人のために、万人は一人のために」ということはあまりいいませんね。「私が考えたことをおおぜいにしていく」、常に「私」が主人公である。この過程が大衆運動と大衆化運動の違いかな〜と今は思えます。大衆運動は個人一人ひとりが表現されています。大衆化運動は私ではない誰かの存在が感じられます。

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3.生活クラブに入職して

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当時(1975年頃)、組合員拡大がものすごい勢いで進んでいて、このままいったら社会が変わるのではないかと思えるぐらいすごかったです。その当時は生活クラブの右肩上がりが始まる時期で、東京から始まって神奈川・埼玉・千葉・長野と破竹の勢いで各県に設立されていった時代でもあります。80年代にはいると北海度とか愛知、茨城、静岡にもできていきました。

1974年に埼玉が設立し、1975年1月に私が入職したのです。その年の3月末の組合員数が1,803名、翌年の3月末の組合員数は3,887名、7年目に1万人を越えました。2万人は16年目、でも37年目の2011年になっても3万人を超えられません。21年かかっても1万人増やせない状況になっています。ちょっと悲しいです。

入職した頃、地域に「準備」支部がたくさん結成され、私は浦和支部担当になりました。準備支部は、組合員を増やし早く全部の消費材に取り組んで経営地盤を確立することと、その過程で支部運営を自立させていく(地域の問題点を整理し解決していく力をつける)ことが大きなテーマでした。

組合員拡大ということでは、300名で鶏卵、500名で牛乳、1,000名で豚肉そして冷凍魚という約束がありました。これは最初はにんじんをぶら下げているようにしか思えませんでした。

組合員拡大が一番の課題だったのですが、拡大を進めるには組合員に働きかけねばなりません。でも、拡大をやりましょう、と本心から言えない自分に気づく訳です。他の支部は増えていくのに自分が受け持っている浦和支部は増えないのです。あせりましたね。

なぜ言えないのか?というと、自分がここで賃金をもらっているのは組合員の活動の結果である、とのうわべだけの理解だったためだろうと思います。つまり自分の得になる(賃金をもらう)ことを、何で活動して金銭をもらえない組合員に向かって言えるか、ということが大きな壁として立ちはだかりました。この壁がなかなか越えられませんでした。

言うことに後ろめたさを感じながら言ってました。組合員から会議で、活動しなくてもどうしたら拡大に取り組むことができるのかという内容の意見が出されても、そうではない、やりましょうとは答えられませんでした。どうしたら取り組むことができるのか、方法論を考えて専務に聞くのだけれど、ダメって言われるだけで何も教えてくれませんでした。当たり前のことですけどつらかったです。自分で考え答えるしかなかった。

たぶんこの当時は小さなごまかしを結構言っていたのではないかと思います。ただ、300名で鶏卵、500名で牛乳、1,000名で豚肉そして魚という目標があったので何とかごまかせたように思います(完全ににんじんをぶら下げている状況でした)。

労働の対価=賃金という概念が強かったということです。勉強なんかしたことがないのにそういう刷り込みがいつのまにか自分の中に入っていました。

なぜそのような考えが刷り込まれたかというと、小さな時から何か家の手伝いをしたら駄賃をもらうとか、マスコミではおまけ・景品・プレゼントの報道が日常茶飯事に流され、人間は「何かをすると何かもらえるんだ」という発想を植え付けられていることに結構な年月がたって気づく訳です。

本来ならば家庭は共同生活をしている所なので協力しながら用事をするのは当たり前のことだけど、そのような教育は残念ながら受けてはいません。恐ろしいことは、自分が意識しない間に心の中に刷り込まれていることです。前段で言ったように、私自身は経済とか政治とかほとんど何も考えないできたので、そのような人は特に恐ろしいということだと言えます。一種のマインドコントロールですね。自分の行動思考については、どうしてそのような行動思考になるのか考えることが必要ではないかと思います。知らないということは恐ろしいことです。気をつけましょう!

余談ですがアメリカがイラク戦争をした理由は何だか解りますか?イスラム社会のルールを変えることが大きなねらいだった、と内橋克人氏は言っています。イスラムの世界でも中国と同じように私有財産権の概念が薄いです。「正当な労働報酬以外は受け取ってはならない」という戒律もあります。利が利を生むマネーはだめ、ということだったんですが今や完全な市場経済化されてしまいました。国有企業もほとんど民営化されてしまいました。

どうやって市場経済を刷り込ませていったかというと、内橋氏によれば、例えば戦車で井戸をつぶして水を飲めなくする。戦車には泥水を浄化する機械があって、それできれいな水を作りタンクを持って来る人に与えますが、他の人に水を与えるときはお金を取ってくれとの条件を付ける、そういうことをアメリカはしたんだそうです。

私自身、そこで学習すればよかったのですが、そんな能力を持ち合わせていないので結局日常に流され、仕事をする中で気づくしかありませんでした。

その解決には、労働するということの意味、このことが大きかったです。それと同時に協同組合の意義について理解が進んでいたこともあります。特に、資本と出資の違い、このことから見えてくるのは、協同組合は人間の活動で、地域から離れることができません。だから協同組合に参加する人が自らの存在をかけ、自らのために活動することが重要であるということです。

特に生活クラブ生協は@生活に必要な材をつくる運動、A生活に必要な社会機能をつくる運動、B人間の関係性に基づく自己表現ということを柱として、自ら労働し他人に働きかけて、自分に役立つようにすることを運動として行ってきました。他人のためではありません、自分のために活動を行うのです。

消費材で表現すれば自らが必要な消費材を自らの手で作り出し、自らが利用するという考え方です。この中のどこに労働力=商品、労働力の対価=賃金という概念が入るのか、入らないのではないか、と気づいたのです。

辞書にも「労働の本質」として、「労働とは、人間が自己の内部に存在する肉体的・精神的能力を用いて、目的意識的に外部の自然に働きかけることによってそれらを人間に役立つように変化させる活動。労働を通じて人間は自然界から生存に必要な生活諸手段を獲得することが可能になる。自然についての人間の認識、自然に働きかけるにあたっての目的の確定、自然へ働きかける人間の行為、これら一連の人間活動が労働である。また、人間は労働を通じて外的自然に働きかけるのみならず、人間自身をも変化させ、肉体的。精神的能力を発達させてきた。それとともに労働の範囲や種類は広がった。」と記載されています。生活クラブの組合員活動はこの通りに行われていると気づきました。だから組合員が活動していかないと、と本心から思えるようになりました。このように気づくまでに7年を要しましたが。

では職員労働については、どのように理解したか。職員は協同組合運動進める一方の当事者です。資本主義の世界では労働力の対価=賃金、労働疎外が起こります。一方、協同組合は利潤追求目的で存在しているのではありません。協同組合は物を売るのではなく、組合員が創りだした物を組合員が利用する組織で、そこに発生するのは物を創りだす費用と組合員に届ける為に必要な経費だけです。この中に人件費が含まれています。

でも協働組合においては、疎外された労働の中で賃金をもらっているのではなく、あくまでも協同組合運動を進める一方の当事者として、組合員と役割分担している中で賃金をもらっているという理解に到達しました。

労働力の対価としての賃金という性格は逃れられないと思いますが、労働力=商品という考え方はないのです。協同組合では労働力=消費材ではないか、と今は思っています( 「職員は組合員活動の道具?」との声 )。

こんなこと、生活クラブ生協に入職していなければ考えなったし、こんな場面にも遭遇しなかったのではないかと思います。自分にとってはこのことを学んだだけでも人生が豊になったのではないかと思っています。考える幅が広がったからです。

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4.最後に一言

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以上、自分が何に疑問を感じ、どのように克服してきたのかをお話ししましたが、何も理解しないで入職した私が悩みに悩んで達した結論です。社会の中に起きていることの真実は何か常に考えていかないと時の権力に取り込まれてしまう、無知は恐ろしいということが解ったということです。

でももしかしたらこのことに気がついていない職員、組合員が多く存在するのではないかと思っています。活動したら何かをあげるというような発想は、社会がそのようになっているからではないかと思います。私が悩んでいた部分と関係あるように思います。

生活クラブが今の社会の中で存在価値を発揮続けるためには、あなたが活動するんです、と自信を持って言える人が多くならなければならない時だと思います。

最後に、今理事に委任料を支払っているが委任料の考え方ですが、理事労働の対価ではなく、組合員の委任を受けて消費材を作り出す労働をする、そのことに対し自分がもらう部分を基準化したものです。基準はみんなで決めます。消費材との交換ということでお金をあげると言うことではありません。方法として共同購入代金と相殺しています。

(終わり)

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