掲載日:2025年11月18日
講座の記録
| 講座名 | : | 第五福竜丸展示館で核なき未来を考える | |
| 開催日 | : | 11月15日(土) |

東京都の夢の島にある第五福竜丸展示館を訪れました。夢の島は、1950年代の高度経済成長期にゴミ捨て場となっていたところを埋め立てて整備し、現在では植物の緑のあふれた気持ちのよい景色が広がる公園となっています。
展示館では最初に公益財団法人第五福竜丸平和協会の専務理事である安田さんより説明がありました。第五福竜丸が被ばくした当時(1954年)の時代背景や遠洋漁業の様子、原水爆禁止運動の高まり、展示館ができた経緯などが話され、特に乗組員たちの平均年齢25歳という若さには今更ながら胸が痛みました。また同時に、アメリカの水爆実験で被害を受けたのは第五福竜丸だけではなくマーシャル諸島の島々にも多大な被害を与え、いまだに故郷を奪われた人々が苦しんでいる事実を知ることができました。
お話のあとは自由に展示館の中を見学、それから夢の島マリーナの岸辺をあるいて昼食場所へ移動しました。昼食後は解散でしたが、再度展示館を訪れる参加者もいました。
夢の島に打ち捨てられていた第五福竜丸でしたが、朝日新聞声欄に掲載され展示館で保存されるきっかけとなった武藤宏一さん(会社員 当時26歳)の投書を以下に記します。
「沈めてよいか第五福竜丸」
第五福竜丸。 それは私たち日本人にとって、忘れることのできない船。決して忘れてはいけないあかし。知らない人には、心から告げよう。
忘れかけている人には、そっと思い起させよう。
いまから十四年前の三月一日。太平洋のビキニ環礁。
そこで何が起きたのかを。そして沈痛な気持で告げよう。
いま、このあかしがどこにあるかを。
東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。
それは白一色に塗りつぶされ船名も変えられ、廃船としての運命にたえている。
しかも、それは夢の島に隣接した十五号埋立地に、やがて沈められようとしている。
だれもが、このあかしを忘れかけている間に。
もう一度、私たちはこの船の名を告げ合おう。
そして、忘れかけている私たちのあかしを取りもどそう。
原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。
いま、すぐに私たちは語り合おう。このあかしを保存する方法について。
平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして。
(1958年3月10日 朝日新聞「声」欄に掲載)
報告 : いーはとーぶ
( 本講座チラシ PDF 579KB)
